これまでの活動

20117月 福島県内で「エルダーシップ対話プロジェクト」として、震災後に個々が感じていることを分かち合い、再生のステップに移行するための対話の場を開催。

 

201111月 エルダーシップ対話プロジェクに飯舘村村民からの相談があり、対話の場づくりの準備をはじめる。

 

2012年より、月2回程度のスカイプ会議、2ヶ月に1回程度に対話の会を開催。

 

●これまでの「までいな対話の会」概要

 

1回 201272(福島県福島市)
原子力行政に関わる人との対話 → 対立する立場の人とも、話すことが出来るという体験とこれからこの会の設立に向けての顔合わせでお互いの今の現状と思いの共有をしました。

 

2回 2012812(福島県福島市)
午前の部の少しだけ村の復興案にかかわる方とのお話。そして、午後からこれからこの会が発足にあたって村民の共通の思いとは何かを話し合いました。そこで出たのが、自分たちが失ったものを分かち合う → 移住か帰還かで対立するもの同士をつなげるヒント、共通点を得るなどでした。


3回 2012924(福島県福島市)

午前の部に「除染・放射能」について詳しい方をお招きしてお話や質疑・応答をしました。そして午後から参加者同士の葛藤に取り組む → 感情的な対立を乗り越えることで、できる「対話の器」を体験。


4回  20121112(福島県福島市)

近況シェアから対話が始まり、午前の部で有志で行っている飯舘における除染についてお話をしていただきながら、質疑・応答を行う。午後の部でこれから、私たちが多くの村民や行政の方々とどう話をする場をつくるかのヒントを探しました。また、参加者同士の中にあった小さな行き違いや誤解を話したり、それぞれの深い想いを共有でき、この会の揺るぎのない器が着々とできていることの実感を体験。


5回 201315(福島県福島市)

各々の近況シェアと今年の抱負を。その後、農家の問題と地方が抱える問題が浮上し、震災前からの問題など様々なトピックがあふれ出す。そして、過去からの未完了な問題が原発事故をきっかけとして浮き上がってきたのではないかという議論に。また、地道ではあるが、信頼関係を築くことが、具体的に何かやる上での近道ではないかということが語られた。

 

第6回 2013年2月11日(福島県福島市)

それぞれの近況から始まる。そしてトピックとしては農村と都市についての話になる。それぞれの立場になって話が進む。そこから農村否定になり農村もタ都会否定をするようになる。そこから地方と都市に移り国と地方・村民と行政それぞれの気持ちを味わう体験をした。

 

第7回 2013年3月2日(福島県福島市)

前回のトピックで消火不良に終わっていた。国・村・民について話が濃厚に行われた。それぞれが役割をやっていった。そして、それぞれがアクションとしてやりたいことを個々に話した。いろんな可能性を探りながら11歩進んでいきたいという合意形成がなされた。

 

第8回 2013年4月15日(福島県福島市)

この場が「心の活動拠点」であり、それぞれが自己の心を整理することで自然と行動に結びついていくものではないか。そして、午後から南三陸の現状を聞く。そして、宮城の復興と福島の復興の共通する苦悩などが話されて、どうしようもない途方もない感情になった。そしてだからこそ、加速する事だけが正しいとは思えない。まずは自己の心を見つめなおす事・飯舘村をどうしたいかを次回までの宿題とした。

 

第9回 2013年5月12日(福島県福島市)

いつものようにそれぞれの近況から始まり、土地の再生に取り組む方・復興案に関わる方を午前中ゲストとして迎い入れる。しかし、なぜか一方通行の対話になり、置き去りにされていく方が増える。その流れのまま午後になった。今度はどんどん話が加速化していき具体的な方向について語られる一方で小さな声が置き去りになったままこの会が終わった。それぞれ未消化のままの会になってしまった。

 

第10回 2013年6月17日(福島県福島市)

前日村長との飲み会、その前の対話もあり、じっくりと深い対話が出来た会になったように思う。この場がひとり一人のパワーを取り戻す場所として再確認された。

また、私たちはどの派閥でもない「までいな対話の会派」だ!そんな名言もとびだした会でした。

 

第11回 2013年7月13・14・15日(北海道での対話合宿)

13日北海道栗山町にて自然の中で対話をした。

   一人一人の人生をどう生きて行くか。それぞれの今いる場所を確認し合った。

 

14日 札幌にて自主避難の方々との対話

    北海道の方・自主避難者の方・支援の方・までいな対話の会それぞれが思いの共有が    できたとても意義のある会でした。

 

15日 飯舘村の方で北海道に避難をした方々との対話の予定でしたが、参加者がいなかったため、私たちだけで、この2日間の振り返りをしながら、自分のこれからの夢への実現について深くそしてじっくりと対話をした。じぶんの小さな声をじっくり確かめながら、時には笑い、時には泣いて日が暮れるまで対話をしました。

 

第12回 8月12日(伊達東応急仮設住宅)

午前中はアロママッサージをしながら心と身体をほぐしながらの対話をしました。

年配者も若者の心配をし、若者も年配者の心配をしながら、想いが重なり合いながらお互いの心が通うひと時を過ごしました。

午後からは飯舘村に関わってくださっている方々、飯舘村の住民の方との対話でした。

多様な意見がありながらも深いレベルでの共有と共感が全体を通してあったと思いました。

 

第13回 9月8日(松川第1仮設住宅)

午前は運営メンバーだけでの対話をしっかりした。午後からの事。目標としているオープンフォーラムをどのような事をするのか、今個人で見えている像を語った。

午後からは年配者に少しでも日頃の疲れを癒し、リラックスして話ができるよう、体操&アロマをして、小グループに分かれての対話をして飯舘の良かったところ、そして今の現状の不安、将来の不安などを対話を通して語り合った。そのご全体で共有して、和やかにそして、お互いの想いの共有が出来きた会になったと思います。

 

オープンフォーラム 3月16日(飯野学習センター)

「みんなでかすかだっぺ~若手に言いたいこと・言えないこと、先輩方に言いたいこと・言えないこと」というタイトルで村民対象に開催しました。

寸劇「屁っぴり嫁さま」から始まりました。この物語は昔話をアレンジして、嫁いできた嫁さまが屁をすることは、はしたない事だと思い小さな屁をずっと我慢してきました。そして、どうにもこうにも我慢の限界になり、大きな屁をこいてしまう。そしたら、姑さんが隣の街に吹き飛ばされてしまうというストーリーで演じました。つまり、小さな声を我慢していると大きなものとなり相手を傷つけたり、自分では思いもしなかったことになってしまうというメッセージをおもしろおかしく真剣に演劇しました。場は和みそこから対話に移りました。

家族の対話、親から子へ、子から親へ、先輩方から若手へ、様々な声を聴くことが出来ました。また、小さなお子さんが遊んでいられるようなスペースも用意しました。ママ同士での対話や遊びながらお子さんたちはスケッチをしながら対話に参加しているような素敵な絵を残していってくれました。

全ての感情を歓迎したようなそんな場ではなかったかなとも思います。まだまだ運営側として反省する事もいろんな問題があることもありますが「場つくり」の大切さを学びました。